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2020.07.15 更新

サイクリングターミナルと李国秀選手や碓井選手・・

どーも 団長の佐藤勇一です‥№10

『サイクリングターミナルと李国秀選手や碓井選手など』
昭和59年に秋田県で高校総体全国大会が県立中央公園を主会場に開催されました。その翌年、椿台に雄和町サイクリングターミナルがオープンしました。この施設は、自転車振興会(競輪)の補助を受けて町が建設したもので、宿泊、宴会、遊具、自転車のレンタルを提供する施設です。建設工事当初は、『高校総体の終わった「宴の後」にどうやって経営していくのか』という声も多く聞こえてきていました。

当時、私は町役場の企画課広報担当という仕事をしていました。広報担当のことは後日書きたいと思いますが、企画課では、町の発展計画の策定も手掛けていました。その中に宿泊施設を整備するという項目がありました。財政面や運営のノウハウなど、実現するためには公務員的発想ではなかなか難しく、議会を説得することも大変なことであったのです。

ある時、同僚が情報誌を見ていて、サイクリングターミナルという補助事業があるという記事を見せてくれました。「よし、やってみるか・・」と当時の工藤清一郎町長に、「ホテル整備の補助事業を見つけたので、お願いに東京に行かせてください」と一人で東京赤坂にある自転車振興会をめざして上京しました。あれは秋の終わりころだったと思います。

「無理なことはわかっていますが、秋田の雄和町にサイクリングターミナルをつくりたくて来ました」とお願いすると、「来年度計画にあと一つと思っていたので、いいですよ」と担当者が即決してくれたのでした。その時は、びっくりしました。自転車振興会の中でサイクリングターミナル建設整備を担当していたのは、自転車道路協会というところで、毎年サイクリングターミナルを全国に、3~4カ所建設していたことは資料で知っていましたが、次の年に建設着工できるということになったのでした。

自転車道路協会の事務所を出ると、すぐに工藤町長に電話を入れて「来年やれることになったし・・」と伝えました。町長もびっくりした様子で、「えがったなぁ」と言ってくれました。すぐ帰って町議会に報告して、設計の補正予算を組んでもらわなければなりません。それからというもの、とくかくバタバタの状態が毎日続きました。

高校総体の終わった昭和60年の春、雄和町サイクリングターミナルは、産声を上げました。建設も終盤となったころ、「支配人は誰に・・」という難題が役場の中でありました。外部から経験者やプロにお願いしたらどうかなどいろいろと検討されたようです。

結論は、支配人は事業を持ってきた佐藤勇一くんにさせよう、ということになったのでした。経営の経験もノウハウもなにもない私に、財政担当の職員が「勇一、少しぐらいの赤字だば大丈夫だから頑張ってけれや・・」という、なんとも複雑な心強い声をかけてくれたことを覚えています。※サイクリングターミナルのことは後日書きたいと思います。

オープンすると、新しさとレンタルサイクルもあったので、週末の宿泊や宴会は順調でした。そこで、高校総体の主会場になった県立中央公園とドッキングした事業をやろうと、全国の大学サッカー部に合宿のお願い文を出したのです。そうしたら中央大学や駒沢大学などの合宿が入るようになりました。当時中央大学には、長谷川大もおりましたので、秋田に目を向けてくれたのかもしれません。大学の合宿では、練習試合相手の高校チームを紹介したり、グランドまで弁当を運んだり、さまざまなお世話をしました。もちろん練習もぱっちりと見学と勉強をさせてもらいました。その効果は、次の年から高校サッカー部の合宿が増えたほか、なんと今でいう、J1クラスのチームも来てくれるようになりました。

印象に残っているのは、全日空トライスターと日立製作所の当時日本リーグを戦っていたチームのキャンプ地として利用してもらったことです。ワールドカップ日本代表の監督をされた西野選手や碓井選手など名だたる選手が、雄和町サイクリングターミナルに長期間滞在してくれたのでした。私は支配人の肩書をフルに活用して、いろいろな選手とお話しをすることができました。そして、毎日練習も見学させてもらいました

その中でも李国秀選手とは、話をする機会がありサッカーに対する考え方などを聞くことができました。練習を見ていると何ともすばらしいプレースタイルと発想を感ずることが できるのは不思議でした。何かが違う、こんなアイデアもあるんだ、そんな連続のプレー を目のあたりにして衝撃を受けたことを覚えています。私が感じたのは、李選手の両肩が常にゴールを向いてプレーしているように見えました。また、日立製作所の碓井選手とは会食もできましたし、ユニホームもいただいております。

サイクリングターミナルに来ていただいたチームや選手のみなさんから、たくさんのこと学ぶ機会を得たことは、今の自分にとってはかけがいのない時間でした。