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2021.09.13 更新

興国高校サッカー部監督・内野智章氏の育成の考え方

どーも 団長の佐藤勇一です‥№255

我が家の庭は、秋桜(コスモス)の花が満開で、秋真っ只中です。昨夜、ネットのスマートニュースを見ていたら、興味深い記事が投稿されていました。「10年で24人! Jリーガーを輩出し続ける興国高校のスゴイ育成法」というものです。興国高校サッカー部監督の内野智章氏の考え方が書かれていました。

私が興国高校のサッカーを見たのが、年は忘れてしまいましたが、ニューバランスの少年サッカー大会会場のJグリーン堺でのことでした。宿舎から試合会場に移動する途中、高校年代の試合が行われていました。ちょっと立ち止まって試合を見ていると、いつも見ているような試合とは違う戦いだと感じました。試合中ではあったものの、「どこの高校ですか・・」とベンチに声を掛けた記憶があります。そうしたら「興国高校です・・」という返事が返ってきました。その当時は、あまり聞いたことがない高校だと思いましたが、個人技を前面に出して見事な試合運びをしていましたので、私たちが目指しているような試合の雰囲気がありました。しばらく試合を観戦していました。秋田に帰って、「興国高校サッカー部」をインターネットで検索した記憶があります。

今回は、その記事をクラブの選手たちに紹介したいと思います。

「10年で24人! Jリーガーを輩出し続ける興国高校のスゴイ育成法」
24人――。これは大阪の名門・興国高校サッカー部がここ10年で輩出したJリーガーの数だ。全国大会出場は‛20年の選手権の一度だけだが、それでもOBには日本代表の古橋亨梧(26)や高卒ルーキーながら横浜F・マリノスで開幕スタメンを掴んだ樺山諒乃介(18)らが名を連ねている。昨年は横浜F・マリノスに同時に4人の選手が入団し、来季も川崎フロンターレへ永長鷹虎(18)が内定している。全国的に知られた名門サッカー部でも、これだけJリーガーを輩出し続けるチームは稀だろう。

なぜ、興国高校からJリーガーが次々と出てくるのか。同校サッカー部の監督である内野智章(42)が、その秘訣を明かす。 「Jリーグのスカウトの方は私にこんなことを話してくれます。『Jリーグの下部組織の選手をトップチームの練習に参加させると、みんなソツなくこなす。ただ、個性がなかなか見えない。一方で興国の子達は、足りない部分もたくさんあるけど、プロでも戦える武器が明確。こんな選手になっていくだろう、という未来が見えやすい』と。興国の理念として、高校サッカーで勝つことよりも、より上のステージで戦えるためには何が必要かを重視しています」 ‛06年に監督に就任した内野だが、当時の興国に大阪の強豪私立と戦える土壌はなかったと回顧する。大阪桐蔭、履正社、近畿大学附属、東海大仰星、金光大阪高校といった名門校が幅を利かせ、新興校の興国はチーム作りを行う上で抜本的な改革をする必要があった。 「よそと同じやり方をしていても大阪では勝てないし、人も集まらない。それなら誰もやったことがないことをしよう。そこからのスタートでした」

内野は知人のツテをたどってスペインやオランダに渡り、欧州クラブの指導方法を見て学んだ。それから10年が経ち、今ではサッカーサービスバルセロナS.L.社とパートナーシップを結び、「関西のバルセロナ」と呼ばれるほど、選手の個を伸ばすスタイルが根付いた。年に一度はスペインへの遠征をして選手たちに世界基準を体感させ、トレーニングメニューもスペインのスタイルを取り入れている。 興国ではフィジカルトレーニングやセットプレー、組織的な守備練習などのメニューはほぼゼロに等しい。1年生のときから常にボールを扱うメニューが組まれ、個人の技術練習に当てる時間が圧倒的に多いのだ。近年の高校サッカーでは、フィジカルを活かした「縦に早いサッカー」を選択する高校が全国大会でも上位に来る傾向がある。これはリスクを避け、個人能力が高い選手に頼った“勝つ確率が高い”スタイルともいえるだろう。だが、内野はそういった選択を行わず、一貫して選手の個人能力を伸ばすことに重きを置く。 「ウチの選手たちに『全国に出ることと、プロになること。選べるならどちらがいい?』と聞くと、大半がプロと答えます。日本の部活動だと、甲子園や選手権に代表されるように『勝利至上主義』が浸透していますが、私はそこに疑問を持っているんです。もちろん勝つにこしたことはないですが、勝った先に何があるのか。 育てることより、勝つことを最重視したチームから果たして何人のプロが生まれ、世界で戦える選手が出ているのか。日本サッカーでも、そういった議論が生まれてもよいタイミングに来ていると思っています」

初めてバルセロナの下部組織を見学した際、内野の指導方針を決定づける出来事があった。 それは日本の指導現場では当たり前である、1人のDFがチェックにいけば、もう一人はカバーリングをするというチャンレジ&カバーの概念を除いていたことだった。 「両CBのポジショニングが間延びしていたので、『あのままだと抜かれたら1点取られる。なぜだ』と聞くと、バルサのコーチは『CBは下部組織レベルで1対1を止められないと上では通用しない。あの子のためにもこれでいいんだ』と言うんです。それは私の中で衝撃的でしたね」 それはオフェンス面でも同様のことがいえた。内野がテーマに置いてきた、「世界で通用する個がある選手の育成」のヒントが隠されていた。 「ビデオを見せられて『お前ならこのシチュエーションでどんな声をかける』と聞かれました。それはカウンターの際に3対2でフリーの味方がいて、パスを出せば決定機になるという場面だった。私はパスを出すように指示すると答えたんです。ただ、スペイン人の指導者は、『あなたの意見は100%正しい。でも時には、冒険をさせないといけない』というんです。その映像に映っていたのは、ユース時代のロッベン(元オランダ代表)でしたが、2人を抜いてゴールを決めました。 日本の育成年代だと、『なんでパスを出さなかったんだ』と怒る指導者が圧倒的に多い。ただ、ロッベンのような怪物を育てるには、正しいことだけではダメだ、と気づいたんです。あの経験で、私も自分の手でロッベンのような選手を育ててみたい、と思えた。以降、興国でもCBは個人で止める、アタッカーは1対1で仕掛ける、ということを徹底した。結果、カウンターであっさりやられて何度も全国を逃しました(笑)。その一方で、プロになる選手は年々増えています」 近年はJユースのレベルも上っているが、明らかな個性を持った選手は減っていると内野は見ている。 「日本人選手全般に言えることですが、日本産のミニバン車のようによく動き、組織の中でうまく機能する。ただ逆にいえば、“遊び”も少ないんです。良くも悪くもまとまった選手が量産されているのが現状ではないでしょうか。それは指導者が勉強して、正しい答えを教えすぎることによって、自分で考えるという機会を奪っていることが影響しています。 オールラウンダーなミニバンよりも燃費は悪いですが、GT-Rやフェラーリのようにスピード抜群で運転が楽しい車にワクワクする人もいる。みなさんが待ち望んでいるのも、そういうスケール感が大きい選手だと思うんです」

スカウティングについても、興国は独特な基準を設けている。身体能力、技術、サッカーIQと3つの基準を作り、その中で1つでも光る才能があれば獲得を検討する。内野が常に考えているのは、足りない部分を補うことよりも、その選手の持つ特徴をいかに伸ばすかということだ。 「たとえば古橋なんかは、身長も低く技術も高くなかったですが、目を見張るスピードがあった。樺山も技術は抜群だけど、フィジカル的には強さを感じなかった。そういった一芸に秀でた選手をJユースはあまり獲らないが、指導者次第で特徴を伸ばせる。また、部活の良い部分は、人間性も深いところで時間をかけて指導できるところです。

Jユースにもよい指導者はたくさんいますが、90%近い指導者が5年と持たずにトップチームへ上がるなど、体制がどんどん変わっていく。優れた指導者ほど上に引き抜かれ、給料も全然違う。だから普通はトップチームへ行きたがり、ユースに残らない。海外クラブでは育成年代の指導は専門職と見られており、そこは人もなかなか動きません。 高校サッカーを選ぶ子の場合は、『あの監督の下でやりたい』という子が多いんです。サッカーは技術だけではなく、時間をかけて人間的な部分の成長を促さなければ活躍できないスポーツでもある。今の日本は才能がある“スーパーな素材”が増えてきているのは間違いない。Jの下部組織が構造を変え、長期的な視点で育成年代の指導者の環境を整えれば、必ず世界トップレベルの選手も出てくるとみています」 内野の先を見据えた考えは時に理解されず、かつては内部から批判を浴びることもあった。日本の部活の場合、チーム成績はそのまま進路や就職先にも直結しやすいので、それも当然のことだろう。 「それでも自身の信念を貫いたからこそ、24名ものプロを輩出できた。皆が同じ方向を向くのではなく、私のような人間がいてもいいと思うんです」 と、内野は笑う。今後は高校サッカーから欧州へと直接羽ばたくルートを作りたい、と意気込む。 「今ウチの1年生で10番を背負う宮原勇太なんかは、卒業後すぐにヨーロッパへ行ける才能の持ち主です。フロンターレに入団した永長も、今が成長期の最中でまだ体は30%くらいしかできていない。技術や潜在能力は、間違いなくこれまで見てきた選手のトップです。フィジカルがついてきたら化けて、欧州のトップリーグでも“魅せる”選手になる可能性を秘めている。学校としても、そういった欧州を目指す選手のサポート体制を作っていきたい。 今でも忘れられないのが、卒業生の杉本健勇(横浜F・マリノス)が遊びに来た時、世代別代表で何度も対戦したブラジル代表のネイマールに話していたことです。『確かにネイマールは凄いけど、当時は宇佐美(貴史・ガンバ大阪)のほうが圧倒的に凄かった』と。ただ、宇佐美はそれだけの才能があっても何かが足りなくて、世界のトップレベルまでは到達しなかった。

私はずっと日本サッカーの可能性を信じていますし、そのヒントを選手達に与えられる存在でありたいと思うんです」 興国の“尖った”選手達は、これからも続々とプロへ羽ばたいていくことだろう。セルティックで活躍する古橋に続き、興国出身のフットボーラーが世界を賑わす未来が訪れても、もはや驚きではない。

興国高校に負けないように、今日も頑張って行きましょう。「やってやれないことはない、やれないところはちょっとの努力・・」