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2021.06.28 更新

秋田空港開港40周年

どーも 団長の佐藤勇一です‥№232

ちょうど40年前の昭和56年6月26日、スポルティフタウンの近くにある新秋田空港が秋田市雄和椿川に開港しました。いつの間にか、「新」が取れて秋田空港として、秋田県の空の玄関となっています。新秋田空港建設は当初、大潟村など数カ所が候補地して上がっていましたが、どこの市町村も騒音公害を理由に拒否していたところ、急遽雄和に整備しようという事になったわけです。

雄和が新秋田空港の候補地としてクローズアップされると、地元では、騒音や取り付け道路整備などクリアーしなければならないことが次から次へと出できました。毎日のように、議会の全員協議会が開催され、秋田県の説明を受けたり、受け入れ決定の下地づくりに大変な日々が続きました。

この頃、町の広報担当をしていたのですが、毎月の「広報ゆうわ」のページも増え続け、昼は取材、夜は編集という日が続きました。新秋田空港の工事が始まると、町民を対象とした「町づくりツアー」も企画実施しました。週に一回はマイクを持ってバスガイドも行っていました。

そうしていると当時の工藤町長が、「勇一、空港ができるのだから何か考えれで・・」と言われて、日本で初めての「ふるさと村」を6月26日の開港と同時に実施しました。秋田空港開港のテレビ放送と抱き合わせに、「ふるさと村」も始めた・・ということもあって、その申込みのため、役場の電話はパンクしそうでした。


それしても、暑い日が続きますね。新秋田空港の開港した40年前の6月26日を思い出しています。昨日は、午前と午後の部の練習を、佐藤重幸、加藤隆生コーチが30℃の中、頑張ってくれました。練習の合間の休憩時間も、普段より長くして「熱中症」に気を付けてくれていました。私は、県立中央公園運動広場で試合があったので、試合の合間にスポルティフタウンに選手たちと休憩しながら、練習風景を見ることができました。

前夜は、選手のいる二小学校の児童がコロナウィルスに感染して、学校が休校、クラブ活動も休止、というメールを受け取り、子供たちへの感染拡大や大学などへの広がりに大会に出場できるのか心配しました。メールの音を聞くと、びっくりの夕方でした。

週末の暑い中、子供たちの頑張りと、両指導者の熱意に感謝して、毎日積み重ねていきたいと思います。

「やってやれないことはない、やれないところはちょっとの努力・・」。40歳になった秋田空港に感謝をしながら、今日も頑張って行きましょう。