2020.07.12 更新
敗戦が導いてくれる・・
どーも 団長の佐藤勇一です‥№7
『敗戦が導いてくれる・・』
今年は、ようやく全日本少年サッカー大会秋田県大会の予選リーグが始まりました。例年であれば5月の連休あたりから行われていたのですが、やはりコロナウィルスの影響で延期になっていたものです。全国の感染者がまた増加して、これからが心配ですが、選手たちには長丁場ですので、楽しく成長しなから頑張ってもらいたいと思っています。br/>
全日本の県大会や全国大会では、さまざまなエピソードがあります。今回は、昭和58年のエピソードを紹介となります。
昭和58年のチームは、6年生が5人と少ない年でした。当時の6年生には申し訳ないのですが、あまり期待もされていませんでしたので、気楽に大会に臨めたと思います。それでも予選リーグは5チーム中2位以内に入らないとトーナメントには進めないので一抹の不安もありました。
いやな予感が的中して一敗、かろうじて2位となり、トーナメントに進めたものの、トーナメント1.2回戦の日が選挙の投票日と重なってしまいました。私はどうしても選挙事務のために試合にいけないので、考えた末に故藤田久喜氏に監督を代行してもらうことにしたのです。「あまり期待していないから・・たのむ」と無理やりお願いした記憶があります。
結果がどうなったか心配でしたが、2勝というまさかの吉報が入ったのです。ということは準決勝に進出ということになったのです。次の週の準決勝の相手はもちろん強豪チームです。まともに戦えば勝てないので、カウンター狙いの作戦を決行したのです。それが的中し、1-0で決勝戦へ・・。
決勝戦は、秋田商業高校グランドで相手は旭北少年団となりました。この決勝戦もカウンター狙いで、攻め込まれる場面も多くあたりましたが、5年生丸山司選手の一発で二回目の全国大会に出場することになりました。6年生は、長谷川、桜田、佐藤、GK佐藤、地主(弟)の5人でした。4年生の長谷川大選手もこの大会からデビューしていると記憶しています。
二回目のよみうりランドは、「また来たぞ!」という全国大会でした。試合はことのほか善戦の連続で、引き分けも多くあったなぁ、と記憶しています。この年は懇意にしてもらっていた岩手県紫波町の日詰少年団も出場したので、意義のある年となりました。葛西先生が亡くなられたという悲しいこともありましたが、両チームを全国へ導いてくれたのも先生だと今でも思っています。そして葛西先生には、大きな影響を受けました。※日詰少年団との交流は後日搭載いたします。
選手もチームも試合のたびに成長していきます。特に敗戦は、その時はショックですが、よく考えてみると、すべてが教訓として課題として残ります。その課題を分析・解決するのが指導者なのです。敗戦から学ぶものは、ことさら多くあります。
さて、今年はどんなドラマが生まれるか・・わくわくしてきます。
【第7回全日本少年サッカー大会の軌跡】
第一戦 川添 0-4 府ロク(東京都代表)
第二戦 川添 1-2 小杉(富山県代表)
第三戦 川添 1-1 城陽(京都府代表)
第四戦 川添 2-1 玉湯(島根県代表)
第五戦 川添 2-2 高良(沖縄県代表)
『敗戦が導いてくれる・・』
今年は、ようやく全日本少年サッカー大会秋田県大会の予選リーグが始まりました。例年であれば5月の連休あたりから行われていたのですが、やはりコロナウィルスの影響で延期になっていたものです。全国の感染者がまた増加して、これからが心配ですが、選手たちには長丁場ですので、楽しく成長しなから頑張ってもらいたいと思っています。br/>
全日本の県大会や全国大会では、さまざまなエピソードがあります。今回は、昭和58年のエピソードを紹介となります。
昭和58年のチームは、6年生が5人と少ない年でした。当時の6年生には申し訳ないのですが、あまり期待もされていませんでしたので、気楽に大会に臨めたと思います。それでも予選リーグは5チーム中2位以内に入らないとトーナメントには進めないので一抹の不安もありました。
いやな予感が的中して一敗、かろうじて2位となり、トーナメントに進めたものの、トーナメント1.2回戦の日が選挙の投票日と重なってしまいました。私はどうしても選挙事務のために試合にいけないので、考えた末に故藤田久喜氏に監督を代行してもらうことにしたのです。「あまり期待していないから・・たのむ」と無理やりお願いした記憶があります。
結果がどうなったか心配でしたが、2勝というまさかの吉報が入ったのです。ということは準決勝に進出ということになったのです。次の週の準決勝の相手はもちろん強豪チームです。まともに戦えば勝てないので、カウンター狙いの作戦を決行したのです。それが的中し、1-0で決勝戦へ・・。
決勝戦は、秋田商業高校グランドで相手は旭北少年団となりました。この決勝戦もカウンター狙いで、攻め込まれる場面も多くあたりましたが、5年生丸山司選手の一発で二回目の全国大会に出場することになりました。6年生は、長谷川、桜田、佐藤、GK佐藤、地主(弟)の5人でした。4年生の長谷川大選手もこの大会からデビューしていると記憶しています。
二回目のよみうりランドは、「また来たぞ!」という全国大会でした。試合はことのほか善戦の連続で、引き分けも多くあったなぁ、と記憶しています。この年は懇意にしてもらっていた岩手県紫波町の日詰少年団も出場したので、意義のある年となりました。葛西先生が亡くなられたという悲しいこともありましたが、両チームを全国へ導いてくれたのも先生だと今でも思っています。そして葛西先生には、大きな影響を受けました。※日詰少年団との交流は後日搭載いたします。
選手もチームも試合のたびに成長していきます。特に敗戦は、その時はショックですが、よく考えてみると、すべてが教訓として課題として残ります。その課題を分析・解決するのが指導者なのです。敗戦から学ぶものは、ことさら多くあります。
さて、今年はどんなドラマが生まれるか・・わくわくしてきます。
【第7回全日本少年サッカー大会の軌跡】
第一戦 川添 0-4 府ロク(東京都代表)
第二戦 川添 1-2 小杉(富山県代表)
第三戦 川添 1-1 城陽(京都府代表)
第四戦 川添 2-1 玉湯(島根県代表)
第五戦 川添 2-2 高良(沖縄県代表)