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2022.06.06 更新

中学校部活動の改革報道から

どーも 団長の佐藤勇一です‥№358

最近の報道で取り上げられている中で注目していることは、中学校の部活動が土曜日、日曜日の活動を外部に委ねる、という大きなニュースです。スポーツ庁によると方向は決まったものの、経費や運営方法などまだまだ分からないことがいっぱいのようです。一つ言えることは、将来的には学校の部活そのものが、ドイツのようにスポーツは地域で担っていくということになるのではないだろうかということです。学校の部活動は、教育の一貫として行われているということで、学校の教職員は半強制的に部活動の指導担当をさせられ、働き方に問題が生じている、という背景もあるようです。

ここで思い出されるのは、私がサッカー少年団を立ち上げた頃、田舎の小学校では、野球とミニバスケットボール部が部活として位置付けられ、校長会が県、郡市町村の大会を学校の授業の時間に開催していました。大会が近づくと、担任の先生が監督となって、町や郡大会に出場するために、即席の野球と女子ミニバスケットチームをつくって学校対抗戦を行っていました。それが進むと、スポーツの好きな先生が赴任して、野球と女子ミニバスケットは学校の部活として年間を通じて活動するようになります。これに対して、社会教育の観点から、立ち上げたサッカー少年団は、子供たちにやりたいスポーツの選択肢を一つでも多く広げてもらおうと結成したものでした。将来は、ドイツのような総合型地域スポーツクラブにしたいとの夢もありました。しかし、学校の部活動の壁はなかなか厚いものでした。サッカー不毛の地で、サッカーを始めたもう一つの理由は、当時静岡県には清水FC、関東では浦和FCや船橋FCなど全市の選抜チームが全国大会で活躍して、地方の小学校の単独チームと全国大会を戦っていました。都市部ではいち早く、学校の枠を取っ払っての活動がなされていました。しかし、秋田県を始め地方では、つい最近まで、スポーツ少年団は、学校の部活の流れで、原則小学校単位というチーム編成に制約されてきました。

小学校は、前のオリンピックを契機に青少年のスポーツ活動を活性化しようと「スポーツ少年団」という制度をつくり体育協会で推進したきました。当初は、スポーツ少年団は、小学生、中学生、高校生をも包含して、部活動を学校教育から社会体育の活動にしようというねらいがあったものと記憶をしております。スポーツ少年団という構想は、そうした狙いがあったものの、主に小学生のスポーツ団体のように現在はなっているのです。中学校のスポーツは、中学校体育連盟、高校は高校体育連盟、高校野球連盟など取り仕切っていて、その地下スラは頑強なものです。

そこに、サッカーのJリーグができて、スポーツの考え方が日本のスポーツ風穴を開けてくれました。学校や企業中心のスポーツから、地域を主体に運営するスポーツに変わっていきます。現在もその流れは続いますが、最近は、都市部のチームはやはりバックに大企業がないと運営が厳しい状況も出てきています。

話は戻りますが、一昨日のニュースに見出しは小さいものでしたが、「クラブチームが中学校体育連盟の大会に出場できるようになる・・」というものでした。スポーツ庁の要請に、中学校体育連盟が了承したという内容でした。これは一体どういうことなのか・・としばらく頭が混乱しました。この部活動改革は、土日の活動から平日も、そして高校にも広がっていくものと考えられます。これからさらに具体的になってくるものと期待していますが、私が昔考えていたことが実現する社会になってきたようにも思います。スポーツの中で、もっと変革しなければならないことがたくさんあります。どんどん良い方向に向かって行ってほしてと願っています。
最近の報道で取り上げられている中で注目していることは、中学校の部活動が土曜日、日曜日の活動を外部に委ねる、という大きなニュースです。スポーツ庁によると方向は決まったものの、経費や運営方法などまだまだ分からないことがいっぱいのようです。一つ言えることは、将来的には学校の部活そのものが、ドイツのようにスポーツは地域で担っていくということになるのではないだろうかということです。学校の部活動は、教育の一貫として行われているということで、学校の教職員は半強制的に部活動の指導担当をさせられ、働き方に問題が生じている、という背景もあるようです。

ここで思い出されるのは、私がサッカー少年団を立ち上げた頃、田舎の小学校では、野球とミニバスケットボール部が部活として位置付けられ、校長会が県、郡市町村の大会を学校の授業の時間に開催していました。大会が近づくと、担任の先生が監督となって、町や郡大会に出場するために、即席の野球と女子ミニバスケットチームをつくって学校対抗戦を行っていました。それが進むと、スポーツの好きな先生が赴任して、野球と女子ミニバスケットは学校の部活として年間を通じて活動するようになります。これに対して、社会教育の観点から、立ち上げたサッカー少年団は、子供たちにやりたいスポーツの選択肢を一つでも多く広げてもらおうと結成したものでした。将来は、ドイツのような総合型地域スポーツクラブにしたいとの夢もありました。しかし、学校の部活動の壁はなかなか厚いものでした。サッカー不毛の地で、サッカーを始めたもう一つの理由は、当時静岡県には清水FC、関東では浦和FCや船橋FCなど全市の選抜チームが全国大会で活躍して、地方の小学校の単独チームと全国大会を戦っていました。都市部ではいち早く、学校の枠を取っ払っての活動がなされていました。しかし、秋田県を始め地方では、つい最近まで、スポーツ少年団は、学校の部活の流れで、原則小学校単位というチーム編成に制約されてきました。

小学校は、前のオリンピックを契機に青少年のスポーツ活動を活性化しようと「スポーツ少年団」という制度をつくり体育協会で推進したきました。当初は、スポーツ少年団は、小学生、中学生、高校生をも包含して、部活動を学校教育から社会体育の活動にしようというねらいがあったものと記憶をしております。スポーツ少年団という構想は、そうした狙いがあったものの、主に小学生のスポーツ団体のように現在はなっているのです。中学校のスポーツは、中学校体育連盟、高校は高校体育連盟、高校野球連盟など取り仕切っていて、その組織は頑強なものです。

そこに、サッカーのJリーグができて、スポーツの考え方が日本のスポーツ風穴を開けてくれました。学校や企業中心のスポーツから、地域を主体に運営するスポーツに変わっていきます。現在もその流れは続いますが、最近は、都市部のチームはやはりバックに大企業がないと運営が厳しい状況も出てきています。

話は戻りますが、一昨日のニュースに見出しは小さいものでしたが、「クラブチームが中学校体育連盟の大会に出場できるようになる・・」というものでした。スポーツ庁の要請に、中学校体育連盟が了承したという内容でした。これは一体どういうことなのか・・としばらく頭が混乱しました。この部活動改革は、土・日の活動から平日も、そして高校にも広がっていくものと考えられます。これからさらに具体的になってくるものと期待していますが、私が昔考えていたことが実現する社会になってきたようにも思います。スポーツの中で、もっと変革しなければならないことがたくさんあります。どんどん良い方向に向かって行ってほしてと願っています。